桐島聡はなにした?連続企業爆破事件で全国指名手配されていた!

桐島聡
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1975年に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配された桐島聡(きりしま さとし)容疑者。

50年近く逃亡していましたが、2024年1月神奈川県内の病院に入院しているとの報道がありました。

偽名を使って入院していましたが、本人が名乗り出たとのこと。

桐島聡(きりしま さとし)容疑者はなにをしたのか、昔のことなので知らない人もいると思います。

今回は、桐島聡容疑者がなにをして指名手配されたのか、まとめてみました。

目次

桐島聡はなにした?

桐島聡容疑者は、1975年に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されました。

「東アジア反日武装戦線」のメンバーの1人だった桐島聡容疑者。

東アジア反日武装戦線には「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループがあるそう。

桐島聡容疑者は「さそり」に所属していました。

そして「東アジア反日武装戦線」は連続企業爆破事件を起こしています。

桐島聡容疑者は1975年に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとされています。

全国に指名手配されましたが、50年近くも行方が分からないままでした。

東アジア反日武装戦線のメンバーの中で、一度も逮捕されていない唯一のメンバーということです。

連続企業爆破事件とは

1974年~1975年にかけて、「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件

東京都内の企業が標的となり、12件の爆弾事件が相次ぎました。

  • 1974年8月30日 – 「狼」班による三菱重工ビル爆破。8名が死亡、376人が重軽傷。
  • 1974年10月14日 – 「大地の牙」班による物産館爆破。16人が重軽傷。
  • 1974年11月25日 – 「狼」班による帝人中央研究所爆発。
  • 1974年12月10日 – 「大地の牙」班による大成建設本社爆破。9人が重軽傷。
  • 1974年12月23日 – 「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破。
  • 1975年2月28日 – 三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破。5人が負傷。
  • 1975年4月19日 – 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破。
  • 1975年4月28日 – 「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破。1人が重傷。
  • 1975年5月4日 – 「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破。

1975年5月には、「東アジア反日武装戦線」のメンバーのうち8人が逮捕されていました。

【追記】桐島聡が死亡

桐島聡容疑者が死亡したとの報道がありました。

桐島聡容疑者を名乗る男が29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡した。70歳だった。

ヤフーニュース

胃ガンの末期で入院中だったとのこと。

2024年1月、神奈川県鎌倉市の病院に「ウチダヒロシ」という偽名で入院した桐島聡容疑者。

25日になり、病院側に「自分は桐島聡だ」と話し、「最期は『桐島聡』で死にたい」とも話していたそう。

病院から警察に通報があり、警視庁は桐島聡容疑者本人かどうかの確認を進めている最中でした。

この男性は死亡しましたが、まだ桐島聡容疑者本人であるかは確認中とのこと。

50年も逃亡生活をして、最期に名乗り出たということで注目を集めました。

「最期は『桐島聡』で死にたい」という言葉が印象的でした。

まとめ

今回は、桐島聡容疑者についてまとめました。

「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、爆破事件に関わっていたとのこと。

1975年に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとされています。

全国指名手配されていましたが、50年近くも行方がわからなかった桐島聡容疑者。

2024年1月に桐島聡だと名乗る人物が見つかり、驚きの声が広がっています。

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